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2010年03月19日

革命は三代で成立する

【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(16)】

 司馬遼太郎の革命史観、特に「革命三代史観」は面白いと言えます。

<<分類すれば、革命は三代で成立するのかもしれない。初代は松陰のように思想家として登場し、自分の思想を結晶化しようとし、それに忠実であろうとするあまり、自分の人生そのものを喪ってしまう。初代は、多くは刑死する。二代は晋作のような乱世の雄であろう。刑死することはないにしても、多くは乱刃のなかで闘争し、結局は非業に斃れねばならない。三代目は、伊藤博文、山県有明が、もっともよくその型を代表しているであろう。かれら理想よりも実務を重んずる三代目たちは、いつの時代でも有能な処理家、能吏、もしくは事業家として通用する才能と性格をもっており、たまたま時世時節の事情から革命グループに属しているだけであり、革命を実務と心得て、結局は初代と二代目がやりちらかした仕事のかたちをつけ、新しい権力社会をつくりあげ、その社会を守るため、多くは保守的な権力政治家になる。>>

 現代において革命家、改革派を自称する政治家は多いがみな、司馬遼太郎の言葉を借りれば、理想よりも実務を重んずる「小粒」の三代目もどきや保守的な権力政治家のレベルを超えません。刑死する初代、斃れる二代が未だ出ていないということは、我が国の「革命」が遂行されるまでにはまだまだ時間が掛かるということなのかもしれません。


Posted by 吉田 康人 at 22:40│Comments(1)
この記事へのコメント
革命、改革という言葉には、なにか先人の積み重ねてきたものを踏みにじるような印象をもってしまいます。
人類の発展、幸福にとって一番必要で根幹となるものは感謝の気持ちではないでしょうか?

私はトヨタの掲げる【改善】という言葉が好きです。
Posted by 近藤明広 at 2010年03月20日 09:38
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