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2009年02月08日

高槻高等学校第61 期卒業式(2)

 卒業式の中身は、余計な(笑)挨拶も来賓・電報紹介も合唱もシュプレヒコールも(笑)ない、また、卒業生退場時の吹奏楽部の演奏以外には音楽もない、とても簡素なものでした。卒業証書授与→学校長式辞→送辞→答辞→保護者謝辞→担任団への花束贈呈と淡々と進みました。こうなると「言葉」(=スピーチ)がすべてです。

 学校長の式辞、送辞、答辞、どれも実に素晴らしかった。高槻高校らしくまさに飾り気の全くない卒業式でしたが、これらの言葉が、奥深くこのうえなく美しい卒業式にしてくれました。

 学校長の式辞は、子供達へ6年間一貫して伝えてきてくださった親に対する感謝の念の大切さとともに、地球環境問題に大きなウェイトが置かれていました。とかく、景気がどうの雇用がどうのと言ったって結局は自国、自らの地域、自分自身の損得という目線でしか語られない世相の中で、私達人類全体の根本的課題である地球環境問題にスピーチの長い時間を割いてくださったのは保護者として感謝に堪えません。

 卒業生代表の答辞には泣けました。高校生の話を聞いて涙をこんなに流したのは初めてです。

 高槻高校の「自由」な校風の伝統。「自由」があるからこそ「責任」を学べ「自立」を学ぶことができる。規則の力ではなく自らの力で自らを律してもらいたい。「自立」した人間を育てる「自由」な校風を守ってもらいたい。−−後輩へのエールがありました。

 体たらくな政治への批判と反省、発展途上国では卒業生よりも幼い子供達が銃を握り殺し合いをしている事実、そして、どんなことがあっても夢を決して諦めてはならない・・−−同級生への呼び掛け。妻が横にいたので我慢してたんだけど(笑)、親への感謝の言葉が卒業生の決意の言葉のように聞こえたところでもう堪えきれなくなって涙をボロボロ流してしまいました。

 感動的な挨拶で嬉しかったのもあります。同時に・・。本当は私達大人が子供達へこうしたことを伝えてやらなければならないのに、私達の社会は、この国のトップリーダーを初めほとんどが自分自身の損得、地域、会社、業界、組織・団体のエゴ、自治体、官僚・役人、政治家の利益誘導、そして、国益中心主義といったしがらみだらけで、子供達へのメッセージ性を持ち得ていません。そのことが悔しかった。悔しい涙、悲しい涙だったのかもしれません。よく言ってくれた・・。


Posted by 吉田 康人 at 21:31│Comments(0)
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