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2009年02月23日

「世に棲む日日」

 2008年8月16日付「やすとログ」で少しご報告したのですが、いつもお世話になっている会社社長からのご紹介で読んでいた司馬遼太郎の長編小説「世に棲む日日」(司馬遼太郎著。文春文庫)を読破しました。ほかの書物との併読だったので思いのほか時間が掛かってしまいました。

 嘉永6(1853)年、浦賀沖に姿を現したのはペリーが率いる黒船。それ以来、攘夷か開国か?、勤王か佐幕か?を巡って政治闘争の激しい嵐が吹き荒れます。骨肉の抗争を経て倒幕への主動力となったのは長州藩。その思想的原点には吉田松陰と後継者、高杉晋作があります。二人の運動を「狂気じみた凄まじいまでの尊王攘夷運動」と評する向きもあります。読破しての印象は「この狂気がなければ倒幕の歴史も変わっていたはず」。

 日本のいわゆる「保守派」と言われるかたがたは「日本は戦後、国家の進路を誤った。戦後教育、戦後民主主義が日本を弱体化させた」とよくおっしゃいます。しかし、これまでにもあちこちで述べてまいりましたしこれからも機会があれば主張していきたいと考えているのですが、そのことよりもっと大きな誤りがあったと思っています。戦後ではなく、「明治維新」時にこそ進路選択に誤りはなかったか?。それが吉田康人の歴史観の最大の問題意識です。吉田松陰、高杉晋作の思想的原点と実際の明治維新との間には決定的な乖離が生じたはずです。この国がこんなになってしまった(笑)根本原因をその辺りに求めています。

 日本の「明治維新の誤り」直前の様子を知り、そして、倒幕の純粋な思想的原点を知るという意味でこの小説は大変勉強になりました。「やすとログ」で「世に棲む日日」の断片を連載ものでお伝えしていこうかなぁ〜?と計画しています。


Posted by 吉田 康人 at 13:05│Comments(0)
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