オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 高槻市

新規登録ログインヘルプ


2009年02月26日

用士

【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(1)】

 2月23日付「やすとログ」でご報告した「世に棲む日日」から吉田康人が学んだことをがんばって連載していきます。

 吉田松陰の幼少時代からの秀才ぶりは説明不要でしょう。以下は、俊秀な少年の評判を聞きつけた長州藩主・毛利慶親(敬親)が吉田松陰に初めて講義をさせた際の一節です。

<<「用士」
 というくだりは、藩主が感嘆したほどに名講義であった。

 用士は士を用ふるにて、此の篇、上家老よりして下群臣に至るまで、其の中にて賢才を目きき挙げ用ふるの法を云ふ。士を挙げ用ふること主将たる人の上にての急務なり。如何となれば、主将何程才能ありても賢才集まらざれば、治には国を治め民を安んずること能はず、乱には戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取り、国威を天下に振るひ、大業を後代に垂るること能はざるものなり。後醍醐天皇、中興の大業を成し給ふは、大塔の宮をはじめ新田、楠、名和、赤松などの名将多く集まればなり。漢の高祖帝王の業を創め給ふは、張良、蕭何、韓信などの如き賢才多く集まればなり。>>

 吉田松陰はこの時、わずか10歳でした。


Posted by 吉田 康人 at 16:25│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。