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2009年03月12日

国家の窮迫を憂え、泣く

【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(4)】

<<泣く、といえば、松陰は水戸を発って七日のうち、白河城下の旅籠でも泣かねばならなかった。江幡五郎と別れるためである。
 −−この夜、酒を置く。
 ただし、下戸の松陰は唇を湿す程度にしか飲まない。宮部鼎蔵と江幡五郎は酒豪といってよく、さかんに飲む。江戸のころ、酔って古今の人物を談じ、忠臣義士のことにいたると、
「江幡まず泣き、寛斎、鼎蔵もまた泣き、座中みな泣く」
 と松陰が書いているように、江幡はこの「泣社」のなかでも感激屋の最たるものであった。ちなみに人間は近代に入ると、泣かなくなった。中世では人はよく泣いた。中世よりもはるかにくだって松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかにゆたかで、激すれば死をも怖れぬかわり、他人の悲話をきいたり国家の窮迫を憂えたりするときは感情を抑止することができない。>>

 司馬遼太郎はこのように書いています。しかし、古と比較する術を吉田康人は持ちませんが、現代でも「泣く」人は大勢います。現代人のほうがむしろ涙もろいのではあるまいか?。激すれば「他人を死に至らしめる」をも怖れぬも急増しています。ただ、現代日本においてそれらはみな個人的な事情においてであって、国家の窮迫を憂い泣く志士と出会うことはまずありません。


Posted by 吉田 康人 at 01:39│Comments(0)
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