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2009年04月13日

森田節斎と高槻の藤井竹外

【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(6)】

 私達のまち、高槻が「世に棲む日日」の中で一箇所出てきます。こういうくだりです。(実際には同じ話の中でこの直ぐ後にもう一箇所出てきます)

<<事がそのように、つまり節斎がそのながい独身生活をきりあげるにいたったのは、彼が松陰に会ったあと、摂津の高槻の友人藤井竹外をたずねたことがきっかけになっている。このとき、藤井竹外はしきりに妻帯をすすめ、いったい、あんたはなぜ独身でいるのだ、とわけをきくと、節斎は筆をとり、
「有不為也」
と、書いた。>>

 吉田松陰は「はるばる海を渡り山河を踏み越えて」大和の国に森田節斎( http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/syuuzouhin/kaisetu/jiku-japan/morita.htm )を訪ねたことがあります。節斎は、当代有数の文章家として名が高く、またやがて、倒幕勤王という危険思想の鼓吹者としてさらに有名人となります。

 独身主義者であった松陰は節斎が40歳を過ぎても「やもめ」であることに関心を持ちました。しかし、その節斎は、松陰と会った翌年、43歳で結婚しました。そのきっかけを作ったのが高槻の藤井竹外( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%AB%B9%E5%A4%96 )というわけです。

 「きっかけ」というより「節斎はタイシツキケツだとみんなが噂している」との「中傷」なんですけどね(笑)。


Posted by 吉田 康人 at 23:15│Comments(0)
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