2009年06月22日
「ラジカル」とは何か?
【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(6)】
吉田松陰のこんな話を聞くと救われた気がします。
<<・・これだけでは松陰がなぜ過激者であり、そうなってゆくかということを解くかぎにはなりにくい。
過激、急進という政治上の用語は、たとえば英語ではラディカリズムという。辞書をひいてみると、ラディカルとは第一義が「根源的」「根本的」ということで、第二義が、「急進の」「急激の」ということになっており、ラディカリズムの項には、急進主義というほか、根本的改革主義とある。言語学の用語では、ラディカルというのは「語根」ということになっている。
松陰は、それらしい。
なにごとも原理にもどり、原理のなかで考えを純粋にしきってから出てくるというのが思考の癖であり、それがかれを風変わりにし、かれを思考者から行動者へ大小の飛躍をつねにさせてしまうもとになっているらしい。>>
政治をやっている人々の中にはたまに、革命主義者でも急進改革派でもないと自分自身では思っているのに、「あいつは過激だ」と陰口叩かれて凹んでいる人がいます。「根本的改革」をめざすと「急進主義」に見える。「純粋」になればなるほど「行動」へ走らざるを得なくなる。
うなずいているあなたは、吉田康人の仲間です(笑)。
吉田松陰のこんな話を聞くと救われた気がします。
<<・・これだけでは松陰がなぜ過激者であり、そうなってゆくかということを解くかぎにはなりにくい。
過激、急進という政治上の用語は、たとえば英語ではラディカリズムという。辞書をひいてみると、ラディカルとは第一義が「根源的」「根本的」ということで、第二義が、「急進の」「急激の」ということになっており、ラディカリズムの項には、急進主義というほか、根本的改革主義とある。言語学の用語では、ラディカルというのは「語根」ということになっている。
松陰は、それらしい。
なにごとも原理にもどり、原理のなかで考えを純粋にしきってから出てくるというのが思考の癖であり、それがかれを風変わりにし、かれを思考者から行動者へ大小の飛躍をつねにさせてしまうもとになっているらしい。>>
政治をやっている人々の中にはたまに、革命主義者でも急進改革派でもないと自分自身では思っているのに、「あいつは過激だ」と陰口叩かれて凹んでいる人がいます。「根本的改革」をめざすと「急進主義」に見える。「純粋」になればなるほど「行動」へ走らざるを得なくなる。
うなずいているあなたは、吉田康人の仲間です(笑)。
Posted by 吉田 康人 at 22:52│Comments(0)
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