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2010年07月04日

「ベンジャミン・バトン数奇な人生」

 劇場公開の頃から「発想が『数奇』だ」と思っていました。米国映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(2008年。デヴィッド・フィンチャー監督)をレンタンルで観ま
した。

 1918年の米国ニューオーリンズ。男の赤ん坊が80歳の高齢者の姿で産まれました。高齢者養護施設に捨てられた彼をこの施設の女性クイニー(タラジ・P・ヘンソン)が拾いあげます。彼女はその赤ん坊をベンジャミンと名付け育てます。ベンジャミンは、成長するにつれて髪が増え皺が減り車椅子から立って歩けるようになるなど、普通の人間とは逆に若返っていきます。そしてある日、デイジー(エル・ファニング→ケイト・ブランシェット)という少女と運命の出会いを果たします。

 この作品も夫婦愛について考えさせられます。もし、吉田康人が歳をどんどん取るにつれ、逆に、妻がどんどん若返っていったら、変わらず愛しつづけることができるでしょうか?。妻は、自分がどんどん歳を取るにつれ、逆に、吉田康人がどんどん若返っていったら、変わらず愛しつづけてくれるでしょうか?。若返りといっても、この映画のネタバレとなるので詳しくは申しあげられませんが、肉体的な若返りと精神的な若返りがあります。夫婦愛は一面では個人間の問題です。しかし、夫婦として社会の中生活していくには社会的な「見てくれ」を無視するわけにもいきません。発想は数奇ですが、この映画ではそうした数奇な人生が淡々と綴られていきます。

 昔、森高千里の「私がオバさんになっても」という歌がはやりました。若い頃、妻「♪・・私がオバさんになったら あなたはオジさんよ・・♪」、吉田康人「♪・・私がオジさんに
なったら、あなたはオバハンよ・・若い子が好きだから・・♪」と口ずさみ合戦をしていたのが懐かしく思いだされます(笑)。


Posted by 吉田 康人 at 09:05│Comments(0)
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