2010年02月28日
2010年02月27日
一橋大学関西アカデミア第5 回シンポジウム(1)

土曜日の午後、大阪国際会議場にやってきました。
Posted by 吉田 康人 at
19:23
│Comments(0)
2010年02月26日
「地域主権改革」の法的定義

何ともしっくりこない。何故か?。文法的に考えてみました(笑)。ポイントは、日常的に使われる日本語の最も曖昧な部分、「主語と述語との関係」にあると思います。
この一文をつくった政府の意図を汲むと構文をこうしたかったのだと推察します。
<<憲法の理念の下に、
?・・のようにするとともに、
?・・のようにする
ための改革>>
まず、根本的な問題として、これはこの定義文で表記するかどうか以前の問題ですが、「誰が」行う改革なのかが明確にされていません。それがないから「魂」が感じられません。すみません、これは「文法的」な問題ではなかった(笑)。
細かな問題ですが「文法的」にどこに問題があるかというと、本来は次のようにすべきだったのでしょう。
<<憲法の理念のもとに、
?「誰が(主語)」「どのようにする(述語)」とともに、
?「誰が(主語)」「どのようにする(述語)」
ための改革>>
つまり、原案を最大限活かすとすれば、
<<憲法の理念のもとに、
?地方公共団体が(、)住民に身近な行政を(、)自主的かつ総合的に広く(、)担うようにするとともに、
?地域住民が(、)地域の諸課題に(、)自らの判断と責任において(、)取り組むことができるようにする
ための改革>>
※(、)はすべてないのが良い。
となります。
冒頭の定義原案では、「住民に身近な行政は、」といきなり来ていてこれが「全体の主語」であるかのようなポジション(笑)を占めています。これも「しっくりこない」一因となっています。
原案を、政治家が自ら書いたのか、官僚が書いた文章に政治家が手を入れたのか、あるいは、官僚の作文の垂れながしなのか?、与りしりません。いずれにしても、文法的にはレベルが低い一文です。いずれにしても、どういうプロセスでこんな悪文になってしまったのか関心があります。
日本語の文法は単なる形式ではありません。「こういう風に書かないと『魂』が伝わらないよ」という日本古来の歴史と伝統に基づく先賢からのメッセージでもあります。「現行日本国憲法には日本人の魂がこもっていない」との批判がある問題とも無関係ではありません。
法をつくり、法に基づいて仕事をする人々には、「地域主権改革」の法的定義の原案が、国民、住民に「しっくり」(笑)理解され、また、魂がこもった一文になっているかどうか、しっかり検討していただきたいと願います。
Posted by 吉田 康人 at
11:05
│Comments(0)
2010年02月25日
高槻JCが「わんぱく相撲」

いただいた文書をよく読むと「まだまだ本来の価値を見いだせていない場所に焦点をあて、街の活性化を促すことの出来るのが高槻市立萩谷総合公園内の土俵」とあります。全く同感です。萩谷総合公園と言えば、前回の市長選挙(平成19年4月)で、「やすとマニフェスト・70」( http://homepage3.nifty.com/yoshidayasuto/manufest/yasutomanyufesutosougouban.pdf )に次のような公約を掲げていました。
<<【萩谷総合公園】公約:「萩谷総合公園」内に宿泊施設を整備し、市内のグループが「萩谷総合公園」において安価で合宿、研修ができるようにします。また、高機能の同公園内野球場・サッカー場を使用したい有名チームの合宿を誘致、市内のチームが優れた技術、技能に触れる機会を増やします。>>
「新しい萩谷総合公園への再生」は重要な市政課題だと考えています。そして、「わんぱく相撲」を高槻JCが行うことで、萩谷総合公園の再生だけでなく、神事としての相撲、文化や伝統としての相撲の再生の一翼をこの高槻が担うとすれば、大変名誉なことと思います。がんばれ、高槻JC!。
Posted by 吉田 康人 at
22:52
│Comments(0)
2010年02月24日
相撲は神事

2月6日付「朝日新聞」夕刊「こころ」のページにあった「『相撲は神事』を考えて」(大村治郎氏)のコラムがわかりやすく解説していました。
これは朝青龍が引退する前の話ですが、元横綱の貴乃花親方がある書物への寄稿文で次のように述べています。「未だに国技である"相撲"は完全に理解されているとは言えません」。「たとえば"横綱"についてですが、横綱とは『力士の中で最も強い者』『相撲という格闘技のチャンピオン』である、と解釈されている方がおられることが残念でなりません。同様に、相撲は"日本古来の格闘技"ではありません」。
さらに、「相撲とは『神道』に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。横綱に強さだけでなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しといえるでしょう」としています。新横綱の推挙状授与も最初の土俵入りも明治神宮で行われます。
前横綱審議委員で脚本家の内館牧子さんはこのような指摘をしています。「今は『四股名』と書くが本来は『醜名(しこな)』。力士が土俵に上がる際、「神の前にあっては非力な醜い人間風情」という卑下の気持ちを示すために名乗ったのが「醜名(しこな)」というわけです。
力士が両手を付く「仕切り」も相手への最高の敬意を示す所作です。万葉学者の中西進さんによれば、行司が立ち合いで声を掛ける「見合って、見合って」も敬意の表れだそうです。「日本語で『見合う』というのは、ほめるという意味があるんです。お互いに尊敬しあえるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められています」。
朝青龍は土俵上でしばしば、相手を威嚇するために睨みつけました。上述のような「相撲の原点が朝青龍に理解されていたのだろうか」とこの記事を書いた大村氏は述べています。同氏はさらに、「大相撲が単なるプロスポーツではなく、神事でもあることを力士もファンも理解しないと、大相撲は根を失ってしまうだろう。競技としての相撲だけでなく、神事としての相撲、文化や伝統としての相撲を学び、理解することも重要」とこの記事を結んでいます。
吉田康人は、国技「相撲」を守るため、スポーツ・コーナーではなく、トップニュースや歴史、文化、伝統のコーナーでこの「神事」を伝えることをNHKへ提案します。
Posted by 吉田 康人 at
21:11
│Comments(0)
2010年02月24日
浅田真央選手の笑顔

フリーもがんばってください。
Posted by 吉田 康人 at
13:09
│Comments(0)
2010年02月23日
「P.S.アイラブユー」

慎ましくても幸福な人生を疑わなかったホリー(ヒラリー・スワンク)を最愛の夫ジョリー(ジェラルド・バトラー)の死が襲います。悲しみに打ちひしがれるホリーのもとへ一通の手紙が届きます。差出人は亡き夫のジョリー。以来、消印のない夫からの手紙が様々な形で届くようになります。
まだ失ったわけではありませんが(^_^;)、最愛の人を亡くした時の気持ちがよく表現されていて共感できます。もしこの映画で描かれていたほど妻から愛されれば夫としても幸せです(笑)。一方、自分が亡くなった時のその悲しみから妻を立ちなおらせる準備までして旅立つことができるのか?、自問自答してみると愛の深さがまだまだ足りないなと反省させられました。
Posted by 吉田 康人 at
19:14
│Comments(0)
2010年02月23日
「歩み研究会」(4)


個人的には「他校との比較は容易ではないなぁ」と思っていますが、学校関係者のほとんどが「自由な学校」とおっしゃっているので、校風に「自由」を挙げるのはまず間違いないのでしょう(笑)。
議論の途中、ここ数年の在校生の実態を知る先生がたから「最近は自由でなくなってきた」あるいは「自由の中身が変わってきた」というコメントが相次ぎました。しかし、吉田康人に言わせれば、そういうコメントを聞けば聞くほど、「槻校はやっぱり『自由』な学校なんだ」という思いが募ります。
パネリストとして申しあげたとおり、槻校の自由な校風の裏には絶えず、「規律」や「モラル」を追求する動きがありました。統一目標を定めて「自由」のベクトルをできるだけ同じ方向へ向け「活力」を生みだそうとする運動もありました。つまり、槻校の「自由」な校風の歴史はすなわち、「自由」と「不自由」(規律や統一目標という意味での)との相克の歴史でもあるのです。
「自由」と「不自由」とのバランスはその時代、その時代で変遷してきました。最近は「不自由」のほうへ少し傾いているのかな?(笑)。しかし今もこうして、「自由だ」、「いや、不自由だ」という議論が真剣に行われているのを見ると、なおさら強く、「自由」な校風を愛する槻校魂の長い歴史と伝統を改めて感じざるを得ません。そして、学校関係者が誰も槻校の「自由・不自由」について語らなくなった時、その「自由」な校風の歴史は本当に幕を閉じるのではないでしょうか?。
「歩み研究会」例会後の懇親会も楽しかったぁ(^_^.)。事務局としてがんばってくださっている大塩先生初め、研究会のみなさんへ厚く御礼申しあげます。ありがとうございました。
Posted by 吉田 康人 at
00:03
│Comments(0)
2010年02月22日
「歩み研究会」(3)


昨日の議論の模様は「歩み研究会」会報「高槻の歩み つたえる・つながる・つくる」に掲載されるはずです。「各学年ともいろんなことがあったんだなぁ」と感心しました。吉田康人が持参した「生徒会通信」を初め様々な文書に「記録」が残ってはいるのですが「記憶」が全くありません(笑)。
議論の内容はともかく、吉田康人にとっては緊張の3時間でした。学年を受けもってくださった永尾正昭先生がコーディネーター、岡本俊明先生が最前列でコメンテーターという最悪(笑)のシチュエーション。何しろ、13歳の時から6年間もお世話になった先生がたの前で学校生活を語るなんて恐れおおすぎます(笑)。
先ほど、「記憶」が全くないと申しあげました。しかし、参加者一同、中学・高校時代の学校での生活がその後の人生に決定的な影響を与えたということで意見が一致しました。
Posted by 吉田 康人 at
17:45
│Comments(0)
2010年02月22日
「歩み研究会」(2)

私達人類ひとりひとりは、遠い宇宙から見れば、人類の歴史や伝統、あるいは、国際社会と日本の動静や歴史とは不可分です。その意識が今、あまりにも軽薄になっています。「建学の精神」はそういうことへ思いを馳せる素晴らしい教育理念です。
Posted by 吉田 康人 at
14:16
│Comments(0)
2010年02月22日
「歩み研究会」(1)

2月19日付「やすとログ」でご報告した「歩み研究会例会 卒業生による座談会シリーズ第5回 高中・高高の昭和50年前後〜昭和の終り」にパネリストとして参加してきました。
Posted by 吉田 康人 at
08:21
│Comments(0)
2010年02月21日
小阪謙造先生からお写真をいただきました

ホントは吉田康人が「やすとショット」して「やすとログ」でご報告せなアカンのに(笑)。恩師で大先輩だし「謙造ショット」に不意を突かれて言いだせませんでした(笑)。
小阪先生、ありがとうございました<(_ _)>。
Posted by 吉田 康人 at
08:53
│Comments(0)
2010年02月20日
「生徒会通信」1981 年2月10 日号(2)

ガリ版へ直筆で書いた檄文のお話です。
吉田康人が取りくんだ大きな課題の1つに「スリッパ制度の導入」があります。後に「上履制」と呼ばれるようになったそうですが議論が始まった際はまだ「スリッパ制度」でした。
「高槻の歩み つたえる・つながる・つくる」第11号で、「高槻学園(高校)新聞」第16号(昭和58年(1983年)4月8日号)掲載「上履制導入に伴う生徒のモラルを問う」記事のことが取りあげられていました。実は、この議論の口火を切ったのはその2年前、「生徒会通信」第13号(生徒会執行部広報課、昭和56年2月発行)だったのです。
本人には書いた記憶が全くありません(笑)。以下、原文をほぼそのまま転載します。
<<▽左は先週土曜日開かれた代議員会で話し合われた内容です。
▽見ておわかりの通り、非常に貧弱な内容であります。これが各クラスの代表者が集まって開かれる議会の内容であることからも、我が校の生徒会の程度の低さがおわかりでしょう。
▽各クラスのHRではいったいどのような討議が行われたのでしょうか。そして各クラスの生徒は、これをクラスの代表の意見として議会に出すことを恥じなかったのでしょうか。執行部及び代議員会は、"もう一度各クラスで、討議し直す必要がある。"と判断致しました。したがって、今週のHRでは、もう一度"スリッパ制度"について話し合っていただくことになります。
▽もちろん、スリッパを使用するか、しないか、それは重要な問題です。しかし、そのスリッパ制度について、全校生徒が、真剣に考えることの方がその前のもっと重要な問題なのではないでしょうか。
▽代議員会では、"げた箱を設置するかしないか"が大きな視点になったようです。しかし本当に"学校を美しくする"という固い意志さえあれば、「げた箱があるのなら・・」「げた箱がないのなら・・」という考え方はおかしいのではないか。机の横に土足を入れる袋さえつければ、それで十分なのではないか。ましてや、スリッパなど使用しなくても、毎日のそうじをその分だけ丹念に行えば、それで問題ないのではないか。
▽そこの所を自分達のために、そして、我々の後輩のために、真剣に考えていただきたいと思います。
◎2月12日のHRの議題→スリッパ制度について◎
以上 生徒会長 吉田 康人>>
例えとしては適切ではないかもしれませんが、国の政治に例えれば、鳩山首相が「これが国民の代表者が集まる国会での議論か?。程度が低い。国民はこれを恥じないのか?。国会は、本質をよく見て、もう一回議論しなおせ!」って言ってるようなもんですからね(笑)。そんなん、国会が止まっちゃうどころか、首相の進退問題へ発展します(笑)。
記憶が全くないとはいえ、いやはや、変わらぬ「剛腕ぶり」と申しますか「傲慢ぶり」に恥ずかしい思いです(笑)。人間って変われないんですかね?(笑)。
ただ、吉田康人らが卒業後、げた箱も設置されて「上履制」が導入されはしたものの「面倒くさい」という理由で土足でそのまま校舎へ入ってくる生徒が多数に上ったという「モラル・マナー問題」が母校の大問題となったことを考えると、「本質」を突いた檄文であったことは確かです。(←反省が足りない?(笑))
Posted by 吉田 康人 at
18:10
│Comments(0)
2010年02月19日
「生徒会通信」1981 年2月10 日号(1)

著名な高槻の画家でいらっしゃる小阪先生は、吉田康人にとっては中学・高校時代に美術を教わった恩師でもあり、社団法人高槻青年会議所(JC)と母校、高槻中・高等学校双方の大先輩でもあります。
「歩み研究会」とは、平成21年4月、高槻中・高等学校の歴史とアイデンティティの研究とを目的として結成された会です。例会をほぼ毎月行っていて会報「高槻の歩み つたえる・つながる・つくる」を発行しています。
同会が今週末の2月21日(日)13:30〜16:00(於:母校2階会議室)に開催するパネルディスカッションにパネリストとして参加することとなったのです。題して「歩み研究会例会 卒業生による座談会シリーズ第5回 高中・高高の昭和50年前後〜昭和の終り」。今回のパネリストのかたがたは31期〜40期の卒業生です。吉田康人は第35期の卒業、昭和52〜58年(1977〜1983年)に在校していました。
パネルディスカッションの司会は永尾正昭先生。吉田康人が中学校の野球部時代、顧問だった先生です。おお、こわっ(笑)。
前置きが長くなりましたが(笑)、そんなわけで今日、記憶を呼びおこすために「予習」をしていました。恩師で当時社会科の先生だった岡本俊明先生から平成13年(2001年)に譲りうけた「生徒会通信」の綴りに目を通していたのです。吉田康人は高校1年生の後期から高校2年生の前期まで生徒会長に選ばれていました。
「生徒会通信」第13号(生徒会執行部広報課、昭和56年2月発行)にはこんな檄文を書いていました(笑)。当時はいわゆる「ガリ版」に直筆で原稿を書いていたんですよ。
(→(2)へ続く)
Posted by 吉田 康人 at
21:54
│Comments(0)
2010年02月18日
「直系家族型」国家と移民政策

我が国のように出生率が1.3前後というのは、単なる人口減少を超えて、「国の没落」だとドット氏は言います。少子化が進んだことによるエンジニアの減少で技術開発に陰りが見えているドイツと同じように我が国も弱体化しかねません。そうした背景のもとで行われている議論の一つが我が国への移民の受けいれです。
欧州では、社会不安の原因と見なし移民を制限してきました。しかし現実的には、移民の受けいれは高齢化が進む欧州が生きのこる有力な手段です。東欧からの移民がなければドイツの衰退はずっと早い時期に始まっていたと言われています。
一方、日本やドイツのような「直系家族型」の国家では歴史的に見て、異民族との同化より、民族間の差異を強調する傾向があります。移民政策推進派の中には「だからこそ、移民の受けいれによって私達の社会に多様性を育むことにつながる」ともっともらしく主張している政治家もいます。しかし、これは本末転倒。センスがなさすぎます。
Posted by 吉田 康人 at
21:41
│Comments(0)
2010年02月17日
東アジアの家族観と婚外子、育児の社会化

「朝日新聞」に定期的に折りこまれている「朝日新聞グローブ」。その第32号(1月25日付)「結婚、アジアの選択」は大変勉強になりました。今後、そのうちいくつかをご紹介したいと思います。
内容盛りだくさんの「結婚、アジアの選択」の中で「東アジアでは結婚しないと子どもが生まれない」というデータは興味深いものでした。「世界各国・地域の婚外子の割合」のデータです。具体的には次のようになっています。経済協力開発機構(OECD)と各国政府の資料から作った2006年または2007年のデータだそうです。
スウェーデン 54.7%
フランス 50.4%
英国 43.7%
米国 38.5%
ドイツ 30.0%
イタリア 20.7%
台湾 4.2%
日本 2.1%
韓国 1.5%
シンガポール 1.4%
明らかな傾向として言えることは、スウェーデン、フランスを初め欧米では結婚していないカップルから生まれる子供の割合が多くこれが出生率引きあげに貢献していて、逆に、アジア諸国では婚外子の比率が低いということです。なぜでしょうか?。
人口学者のエマニュエル・ドット氏は「家族類型」を用いて次のように分析しています。
台湾、日本、韓国などは「直系家族」タイプに属します。特徴は次のとおり。
・親が子供に対して権威的
・親子の同居率が高い
・家系を重視する
・親は子供の教育に熱心
一方、スウェーデン、フランス、英国、米国などは「核家族」タイプ。特徴は次のとおりです。
・親子関係より夫婦関係を重視
・親子関係は独立的で同居しない
・家系を重視しない個人主義的傾向
・親は子供の教育にあまり熱心ではない
ドイツは、どちらかというと「直系家族」タイプであるにも関わらず、婚外子の割合がアジア各国と比べると高くなっています。これについては専門家のご助言をいただきたいところです。
しかし全般的には、「家系重視だと結婚外から生まれる子供を許容しにくい面がある」ことがアジアにおいて婚外子が少ない大きな原因になっているとするドット氏の説には説得力があります。
現代的かつ国際的な見地からは「直系家族」タイプと「核家族」タイプの「良し悪し」を論ずることはできません。ただし、東アジアの少子化、さらに、東アジアにおける子育ての社会化を考える際には家族、家庭、結婚に対するアジア諸国民の価値観を充分踏まえて議論する必要があります。
Posted by 吉田 康人 at
19:06
│Comments(0)
2010年02月16日
武士は料簡がせまい

徳川慶勝のために長州処分を立案、遂行していた西郷隆盛に会うことを、白石正一郎が高杉晋作へ勧めた時の一節です。
<<晋作にいわせれば、武士は忠誠心というものの宿命的本質として藩ナショナリズムを背負わされているが、そこへいくと町人は汎日本人的意識で生きている、いま西郷に会えという、あなたが町人だからそれがいえるのである、という。晋作のいうところでは、西郷とその薩摩藩は勝利軍の側にあった。長州は逆に敗者である。敗者たる自分が、勝利者たる西郷に膝を屈して会いにゆけるとおもうか、と晋作はいう。・・・・・・それをきき、白石正一郎が、
「なんとご料簡のせまい」
というと、晋作は白石正一郎の顔を優しげにのぞきこみ、やがて、この男の特徴的な笑い声をみじかくあげ、
「そのとおりだ、武士は料簡がせまい。しかしこの狭さがあってこそ、主君に忠義などという、町人がきけばばかばかしいかもしれぬことで腹を切り、命も捨てられるのだ。西郷はわしの殿の敵である。その敵に家来たるわしが笑顔で会いにゆけると思うか。西郷に会いにゆかねばならぬ用があるとすれば、それは斬るときだ」
とからからと笑った>>。
この物語のように「料簡が狭い」ことを肯定的にとらえる向きにはなかなかお目に掛れません。吉田康人もよく、「料簡が狭い」的なお叱りをいただいたものです。「武士だからか?」と自ら妙に納得し料簡をますます狭くしていきそうです(笑)。
Posted by 吉田 康人 at
23:05
│Comments(0)
2010年02月16日
「政治家天命講座」2 月例会

1月例会では、我が国の国是、林英臣政経塾の塾是、塾生ひとりひとりの進路の取りかた(原点、大局、本氣、徹底)、さらには、吉田松陰の「講孟箚記」などについて学びました。先日の2月例会は、文明法則史学。同学は、文明の盛衰パターンの共通性を明らかにしようとする歴史学です。
林先生のお話をうかがっていると、国政と地方自治とが、役割は異なれども、全く同じ目的のために司られるべきということが実によくわかります。
中国という現代の「黒船」に、我が国日本はどう対処すべきなのでしょうか?。明治維新以降、大東亜戦争へ至った歴史の過ちを二度と繰りかえしてはなりません。我が国と国民とを守りきるために、新しいビジョンを描いて新しい日本をつくる必要があります。その国是のもとに国政も地方自治も司られるべきです。答えは林英臣政経塾にしかないと確信しています。
Posted by 吉田 康人 at
00:29
│Comments(0)
2010年02月14日
「ローマの休日」

欧州某国の王位継承者アン王女(オードリー・ヘップバーン)は欧州各国を親善旅行で訪れていました。ハードスケジュールで疲れやストレスが溜まっていた王女は夜のローマの街へこっそり繰りだしてしまいます。米国人新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)は、鎮静剤の影響で寝入ってしまっていた彼女を一国の王女であるとも知らず自分のアパートで休ませます。
現代映画と比べるとすべてがシンプルです。だからこそ、本当に美しいものがますます輝いて見えます。特に、エンディングでのオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの瞳の美しい輝きは忘れられないほど印象的です。
Posted by 吉田 康人 at
22:17
│Comments(0)
2010年02月14日
「セブンティーン・アゲイン」


バスケットボールの花形選手、17歳の高校生マイク・オドネル(ザック・エフロン)。将来を期待されていた彼は大事な試合の当日、恋人スカーレットの妊娠を知り、バスケを諦め、彼女との人生を選択します。それから20年、出世にも見放され、結婚生活も破綻、2人の子供達からもバカにされる日々を送っていました。そんなある時、マイクは、不思議な現象に遭遇し、肉体だけ17歳に戻ってしまいます。もちろん、周りの人々は誰も知りません。彼はそこで、親友ネッドの助けを借り、栄光の青春を取りもどすべく高校に再び転入するのです。
「栄光の青春を取りもどす」のはいいのですが、同世代の友人となった娘や息子へのお説教が中心となるのが面白い(笑)。最大の見所は何と言っても、マイクがやりなおした人生で選びなおした「人生最大の選択」は何だったのか?。吉田康人の「一番の成功」を笑っていたかたがたには是非ご覧いただきたい映画です(笑)。
Posted by 吉田 康人 at
11:20
│Comments(0)
2010年02月14日
2010年02月12日
2中サッカー、「高槻選手権」決勝進出


午前中からの風雨が午後になって一層激しくなり、寒さも厳しくなりました。天候と選手の健康への配慮から、同日夕刻に行われる予定だった決勝戦のみ後日へ順延(詳細未定)となりました。
〜〜〜〜〜
<最近の試合のおさらい>
■高槻選手権
(予選リーグ)
○2中 9−0 高槻市立第四中学校●
○2中 6−0 高槻市立冠中学校●
○2中 8−0 高槻市立柳川中学校●
(トーナメント戦)
○2中 4−1 高槻市立第六中学校●
■主な練習試合
○2中 2−0 茨木市立平田中学校●
○2中 2−0 大阪市立友渕中学校●
●2中 0−3 豊中FC(U-15)○
〜〜〜〜〜
阿武山グランドへ到着した瞬間、我が高槻市立第二中学校サッカー部のベンチと選手らにいつもと違う気合いを感じました。試合が始まってからの選手らの表情や動きも気合い充分。一緒に行った妻も「雰囲気、違ったよねぇ」って感心していました。「獲物を狙う」ように見える時の2中は、強い(笑)。
準決勝の相手は同じように予選リーグ、トーナメント戦を勝ちあがってきた高槻市立阿武山中学校。初っ端のシュートは阿武山。僅かに外れました。これを入れられていたら試合の流れが変わっていたかもしれません。
このほかにも何度か決定的なチャンスをつかんだ阿武山もさすがでした。しかし、気合いと雨の日対策とで上回った2中がゲームをものにしました。前半4−0、後半0−0、合計4−0で2中が阿武山を下しました。
準決勝第2試合では、高槻市立第九中学校が3−1で同城南中学校を下しました。夕刻、「宿敵」(ではあるが、吉田康人が育った地元の中学校でホントは応援したい(笑))高槻市立第九中学校との決勝戦を楽しみに応援に駆けつけましたが、冒頭に申しあげた状況で後日へ延期となりました。素晴らしい決勝戦が良いコンディションで行われることを期待しましょう。
準決勝まで勝ちぬいたことで、2中は「第21回大阪招待中学生サッカー大会 ガンバカップ」への出場権を獲得しました。「ガンバカップ」への出場はサッカー中学生の憧れの1つでもあるのです。おめでとう。
Posted by 吉田 康人 at
18:10
│Comments(0)
2010年02月11日
【速報】2 中vs9中の決勝戦は延期


しかし、本日夕刻に予定されていた決勝戦は、激しい雨天、グランド・コンディション、あるいは、選手の健康への配慮などにより、延期となりました。日程など詳細は未定です。
指導者、出場選手、サポーターなど関係者のみなさん、厳しい天候のなかお疲れさまでした。
Posted by 吉田 康人 at
17:17
│Comments(0)
2010年02月11日
「デフレ徹底対抗!」?

「デフレ徹底対抗! 菓子パン¥99均一」
?(笑)。
デフレに徹底対抗する?。それなら、「このパンは200円です。でも、安もんのパンと比べもんにならんほど高級で美味しいよぉ〜!」と貼り紙せなアカンでしょ?(笑)。
帰宅して報告したら、高校2年生の次男は「『デフレ、インフレ』の意味がわかってへんのんちゃう?」と優等生「的」(笑)なコメント。
妻は「『いつもは60円なんだけど、今日は99円!』っていう意味なのよ」(笑)と熟女らしい一枚上手の茶化し。
インフレ、デフレが家族の談笑に登場するなんて、私達庶民の暮らしは相当に苦しい(笑)。
Posted by 吉田 康人 at
14:28
│Comments(0)
2010年02月10日
「愛国の丹心」

旧態依然たる勢力であった江戸幕府が倒れた明治維新に対しては拍手喝采するのに、現代における旧態依然たる国政の政治勢力や、旧態依然とした「府庁党、市役所党」のごとき地方勢力を倒すとなると、「役人を使いこなさないといけない」とか「急進改革は混乱を生じさせる」とかいう理由で二の足を踏む人々が少なくありません。ファッションなのでしょう。
昨今のような政治の混乱期にあって国を愛するとはどういうことか?。「世に棲む日日」で学ぶことができます。
<<井上は兇刃をうけて日も浅く、全身白布に巻かれて「いもむし」のように寝床にころがっていた。
その井上の枕頭で晋作は一詩をつくり、
「愛国の丹心」
と題して、書き置きをした。自分の劇的行動なり劇的境涯なりを詩にするというのは、長州人の癖であった。とくに松陰と晋作においてそれが濃厚であった。
・・(中略)・・
意味はこうであろう。
「自分の心胆がまだ衰えていないのに、国(長州藩)が衰えようとしている。俗論のはびこっているこの藩の城の埃をたれがはらいおとすのであろう、それは君と私しかないのではあるまいか。こうなった以上、晋の予譲のなしたことをなすまでだ。予譲は戦国のころ、智伯という人物に仕え、愛された。智伯は数ヵ国の敵によってほろぼされ、その領土は敵の分けどりにされた。予譲は"士はおのれを知る者のために死す"となして、変装し、敵王を刺殺しようとした。そのために身に漆を塗って皮膚を赤むけにして病人を装い、さらに炭をのんで喉をつぶし乞食の風体をして敵王の馬車に近づいたが、捕らえられて殺された。その予譲の壮挙をせんとする者はこの吾曹である。防長の山々をあくまでも敵から護りぬかねばならぬ」
−−敵。
というのは、幕府と、その幕府の傀儡政権である俗論党政府である>>。
昨日も、「お金の算段がつかなければ選挙準備などできないのではないか?」とのご質問を親友からいただきました。全否定はしません(笑)。
ただし、「愛国の丹心」があれば「お金」がなくても政治、選挙はできるし、「愛国の丹心」がなければ「お金」があっても政治、選挙などすべきではありません。
Posted by 吉田 康人 at
10:36
│Comments(0)
2010年02月09日
共感の翼を羽ばたかせる

<<君の年齢では、ハイチで何が起きているのか、まだわからないだろう。瓦礫の下で息絶え、人身売買の毒手にかかっているのは同じ世代の子どもたちだ。
大勢の人が死んでも、僕らはご飯を食べ、ぐっすりと眠る。でも。今は何もできなくても。あの地に自分がいると思えるよう、共感の翼を羽ばたかせる訓練をしよう。それを世代の常識としよう。時代は君たちを小さな国の内側では完結させない。
−−我が子とその世代への手紙>>
「ビジョン」とはこういうことを言うのではないでしょうか?。
Posted by 吉田 康人 at
01:51
│Comments(0)
2010年02月07日
「奇跡のシンフォニー」

養護施設で育つ11歳の少年エヴァン(フレディ・ハイモア)。生まれつき類い希な音感を持つ彼は、いつか音楽を通じて、顔も名前も知らない両親に出逢えると信じていました。思いを募らせるエヴァンはある時、ふとしたことから施設を抜けだします。そして、マンハッタンで両親探しのきっかけをつかむのです。
こんな歌もありました。
♪・・(前略)・・
神よ
子育てには神の愛が要る
あきらめるな
笑顔になるには夢が要る
神よ
道を探すには助けが要る
生きるのがつらければ祈ろう
・・(後略)♪
「スラムドッグ$ミリオネア」のログ(1月31日付「やすとログ」( http://www.max.hi-ho.ne.jp/yoshidayasuto/201001.html )参照)で「彼があることのために命を懸けそれを貫いたからなのです。それがなければ道は開かれませんでした」と申しあげました。この映画でも同様に、奇跡は偶然起こるのではないことが示されます。奇跡を引きよせるのは「家族に会いたい、会えるに違いない」という「3人」の祈りの強さでした。
Posted by 吉田 康人 at
23:10
│Comments(0)
2010年02月07日
ストーブあったけど寒かった「脳力測定」4

子供達の笑顔、そして、多くの人々に支えられながらこれからも「家族揃って『脳』力測定」を進めていきたいと思います。ありがとうございます。
Posted by 吉田 康人 at
18:23
│Comments(0)
2010年02月07日
ストーブあったけど寒かった「脳力測定」3

「ほかの人より良い成績を」ではなく、どちらかというと、「前回の自分より成績を上げたい」とみなさん必死です。
Posted by 吉田 康人 at
16:17
│Comments(0)
2010年02月07日
ストーブあったけど寒かった「脳力測定」2

一つは『すうじ盤』。マスに書かれた数字のとおりマグネットをどれだけ速く置けるか。数字を判断する能力とともにマグネットを手際良く置いていく器用さも求められます。
二つめは「記憶力テスト」。ひらがな3文字の単語が30個書かれた紙を2分間見せられます。そして、次の2分間で、その紙を伏せたまま、何個覚えているかを競うというゲームです。
三つめは、「絵づくりパズル」。様々な形の木片を組みあわせて動物などの絵をつくります(写真)。
四つめは、「脳を元気にする計算 15番目の数」(数学で育ちあう会)( http://homepage2.nifty.com/suuikukai/ )。マス計算の一つの形態です。縦に足し算をしていくと最後の行はすべての列が同じ数値になります。
Posted by 吉田 康人 at
13:18
│Comments(0)