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2010年01月23日

「かならずしも狂にあらず」

【「世に棲む日日」(司馬遼太郎著)シリーズ(11)】

 「世に棲む日日」は4巻中第2巻目の途中から主役が高杉晋作へと変わります。

 吉田康人の過去2年間にわたる「悩み」が高杉新作のそれと本質的には同じような気がして嬉しくさえ感じられる。そんな一節です。

<<こういう時期、お雅にはわからなかったが、この若い亭主は、自分の生涯を展望してその生き方に悩みつづけていた。世間は、騒然としてきている。長州の下級武士たちも動揺しはじめていた。晋作はそういう風雲のなかに身を投ずるか、それとも平凡な良吏として生涯を幸福にすごすか、ということを考えつづけ、ついに、

(かならずしも狂にあらず)

 とまで思うにいたった。かれに言わせると、ひとには環境というものがあり、天命がはじめから定まっている。これはうごかしようもないのに血気にはやり風雲のなかにとびだすことのみ考えているというのは、真の強者の道ではあるまい。真の強者の道は自分の天命を知り、みずからの運命に満足することであるかもしれない、というものであった。

「天命に叶い、足ることを知る人を福者ともいう、長者ともいう」

 と、自分で警句のようなものを製造してその日記に書きつけた。狂者の道よりも福者の道をたどるべきかということを、この六月、お雅を看病しつづけながら、晋作は考えていたのである。>>

 あの高杉晋作が「狂挙」の前に「かならずしも狂にあらず」と悩んだ時期があったことは驚きでもあります。しかし、天命に悩んだ挙句に「狂者」の道を選んだ者のみが真の「狂挙」の資格を持ちうるのではないかと、吉田康人は最近そう思っています。
  

Posted by 吉田 康人 at 23:51Comments(0)